泣いた赤鬼

 

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むかしむかしあるところに一人の老婆が川で洗濯をしていた。

どんぶらこどんぶらこ、どんぶらこどんぶらこ

大きな果実が流れてきた。どうやら桃である。

老婆は喜んで桃を持ち帰った。

老婆は翁が帰ってくると、さっそく桃を切ろうとした。

するとどういうことであろうか中に子供がいるではないか。

二人は仰天した。

子供のいない老夫婦は、これはきっと神様からの贈り物に違いないと思い、大切に育てることにした。

赤子はスクスクと育った。

 

赤子はやがて立派な青年となった。しかしひとりぼっちであった。

誰の子であるか分からない彼に対し、村人たちはヨソモノと陰で呼んだ。

拾われた、哀れな子。

彼は悲しかった。誰も彼に近づいて来ない。

どうにかして自分を人々に認めさせたかった。

そんな時、この村に鬼が現れたという噂が流れた。

彼は思いついた。

そうだ、鬼を駆逐すれば良いのだ。

鬼は危険極まりない生き物だという。

鬼ヶ島の鬼を全滅させれば村は安泰だ。そして周りも俺を認めるだろう。

そうと決まれば早速鬼退治に行こう。

鬼退治に行こうとする彼を村人達は激励した。

彼は村の期待を背負い、鬼ヶ島へと旅立った。

村人たちは、これで村はあるべき姿に戻る、とたいそう喜んだ。

 

彼は今まで抑えていた鬱屈した思いを解放し、鬼ヶ島を縦横無尽に駆け回った。

彼の通り道には鬼の死体が転がった。

鬼たちはわけが分からなかった。

なぜ我々が殺されなければならないか。

今まで離島でひっそりと生きてきた。

村にはこれまで一度も近づいていない。

鬼たちの必死の懇願を彼は一蹴した。

この嘘つきの鬼め。

村にはお前らが出たという噂が流れている。

平気で嘘をつき、人間を騙そうとするとは。

やはり鬼は危険な生き物だ。生かしておけぬ。

彼は問答無用で刀を振るい続けた。

貴様らは俺の栄光の為に死ななくてはならないのだ。

彼の顔には歪んだ笑みが張り付いていた。

 

あらかた鬼を片付けた後、1人の年老いた鬼が岩屋の奥でぽつんと座っていた。

この鬼ヶ島の長であると名乗った。

やっとこの日が来たか、老鬼は言った。

百年以上も生きて、これ以上望むことはなかろう。

もう一度だけでいいから、生き別れた妻と子の顔を見ることだけが唯一の希望であった。

だが今、その希望が目の前にある。

もう思い残すことはない。

そう言って老鬼は微笑んだ。

ざんっ、という音とともに老鬼の首が転がった。

こうして鬼ヶ島は滅んだのである。

 

彼は嬉々として村に凱旋した。

これで村人たちも俺を認めてくれる。

村人たちは彼が鬼たちを相手にしながら無事に帰ってきたことに驚愕した。

鬼を相手に生きて帰ってくるとは。死んだものと思っていたのに。

村の者は宴を開き、そして歌い、彼を称えた。

桃から生まれた英雄よ。

桃から生まれた神の子よ。

腰につけたきびだんご。

我らに一つ与えてはくれまいか?

桃から生まれた英雄よ。

その宴は三日三晩続いた。彼は幸福であった。

 

数年後、彼は村長の娘と結婚した。

そして娘の腹には子が宿った。

彼は仕事をせずに鬼退治の功績だけを頼りに生きた。

初めは彼を讃えていた村人も、事あるごとに英雄ぶる彼の姿に愛想を尽かしていった。説教すれば俺は鬼退治の英雄だぞと大声で罵り、逆らえば村の英雄を侮辱する不届き者として乱暴を働く。

彼はもはや英雄ではなく、疎ましい存在と成り下がった。

妻は彼の中に潜む力を恐れた。

目を合わせず、口数も減った。

彼は孤独から逃げるために酒に縋った。酒だけが慰めであった。

ある晩、妻が産気づいた。彼は小屋の外で子どもが産まれるのを待った。

可愛がってやろう。

欲しいものは全て与えよう。

孤独な彼には子が全てであった。

空には満月が煌々と輝いていた。

 

産声が夜をつん裂いた。

ついに。ついに生まれたのだ。

彼は小屋から転がり出てきた産婆に目もくれず中へ飛び込んだ。

俺の子だ!愛しき俺の子よ!

俺は父親になったのだ!

もう俺は孤独じゃない!

俺の希望!

 

妻は小屋の隅にいた。

彼は妻に近づいた。

おい。と声をかける。

返事はない。

彼女は虚空を見つめていた。

彼は妻の腕に抱かれた赤子に目をやった。

 小屋の暗さでよく見えなかった。

しばらくすると目が慣れてきた。

彼は自分の目を疑った。

 

月の光に伸びた影。

その赤子の姿は鬼そのものであった。

 

赤い肌。

額から伸びた突起。

鋭い爪。

口からは牙が覗く。

 

彼は言葉を失った。そして激怒した。

「貴様!あろうことか!あろうことか鬼と姦通していたか‼」

妻がか細く鳴いた気がした。

違う、と言った気がした。

あなたの子よ、と言った気がした。

「この!この!裏切り者めが!貴様まで俺を…!俺を…!」

 

彼の中の何かが音をたてて崩れた。

あとは分からなかった。

無我夢中だった。

心の奥底でぼんやりと目の前の事実を見つめていた。

気がつくと妻はもはや妻ではなくなっていた。ぴくりとも動かない。腕の中で人とも鬼ともつかぬ赤子がぐったりと事切れていた。

全身からからぬるぬるとしたものが滴る。何だ?この生温かいものは。

「あ…あ…ああ…」

窓から射し込んだ月明かりが彼を照らす。

彼は全てを悟った。

鬼ヶ島で発揮した底知れぬ力が一体何処からきていたのか。

 そうか……。

俺は同胞たちをころした。

愛する妻をころした。

そして我が子をころした。

俺は拾われた子であった。

両親の子でなかった。

ましてや俺はヒトでなかった。

 

村人は俺を決して認めない。

なぜなら俺は。

 

彼は絶叫した。

 

なぜなら俺は鬼だったから。

 

涙が溢れた。

とめどなく溢れた。

吠えるように泣いた。

 

血を浴びて赤く光る肌と血走った眼をしたかつての英雄の姿は、

まさしく赤鬼そのものであった。